声優、バイト、恋愛、友達・・・ いろんなものに振り回されて助けられても、うまくいかない日もあるさ☆
ココとムコウ
自分に悩みがあるとき、その悩みを振り払うつもりで富士山に登る。


でも、富士山に登ると自分の小ささに嫌気が差し、そのまま樹海に足を運んでしまう人も少なくないらしい。


この間までお世話になった不動産の方と話していたこと。
ふと思い出しました。





悩みは人それぞれで、いくらいろんな人に相談したところで答えのでるものばかりではない。
最後には自分しか解決できない悩みを、みんないっぱい持っている。
仕事のこと、恋愛のこと、友達のこと、家族のこと。


一番多いのは人間関係でしょうね。
いい人間関係は、お互いの同意の下で成り立つ。
片方の気持ちは右へ、もう片方は左だと違う。


頼れる上司だから部下はついていくし、楽しい人だからみんな集まってくる。



あたしは最近どうして良いのかわからなくなる。
だめな人間関係の中に、ずっといなくてはいけない自分は嫌。
イライラ、ムカムカしてたっていいことなんか何もないですから。

何かを叫びたいのに、多分誰も聞いてはくれないんだろうな。


いつも笑っているけど、本当は愛想笑いすらめんどくさい時だってある。





多分、誰もわからないな〜って。
相手にされたくて必死で、かまってもらいたくて、褒めてもらいたいし、認められたい。


高知にいたときに誰もそうしてくれなかったから。
だからあたしは東京のあたしと高知のあたしを別の人として考える。
東京のあたしにはそんな思いしてはしくないから。
だからせめてこのあたしの過去を知らない土地では、常に誰かが側にいて欲しいとわがままを思う。
役者って
演技楽しいです。



いいことです。





この間、ある台詞回しのたとえで、講師の方と一瞬親子で演技したんです。

演技はうまい人とやるとうまくできるんですよ。


自然な反応ができました。


引っ張っていってもらえるから。
いい経験になりました。
でもほんの一瞬ね!



前のクラスでも、講師の方はよくお手本見せてくれたんですが、今回のは即興だったので。
こんなことで感動を覚えてちゃだめでしょ。



けどね、最近講師の方がよく言うんだけど、


「役者はね、いかに普通を演じるかなのよ!!」



って。




台本を渡されて、演じても、それは普通の反応ではないんです。


なにか自分の大事なものを壊されたときと相手が待ち合わせに遅刻してきたときの怒りは同じ表現ではないのです。

だからといって、いきなりシチュエーションを言われてもできない。





できないからレッスンをするのだけど。




たまにもどかしくなります。


いつも感じている感情を、いざ演じるとなると、なかなか頭の引き出しは開いてくれないのです・・・。
悩みのレベル
最近ふと思うんです。
悩みのレベル。




例えば、「彼氏ができない」ことで悩んでる人がいる。
でも、その人の悩みは彼氏が今までいなかった人からするとたいしたことない悩み。今までいたんだからいいじゃんね。


お母さんがむかつく。
それもお母さんのいない人からするとたいしたことない。
むかつける母親がいることはいいことです。
逆もある。


会社の上司が嫌だ。
まず、会社に勤めれていることが幸せではないのか。


夢が叶うかわからない。
夢がないから何をしていいかわからない。


友達とケンカしたのも、ケンカの原因がこっちにあるか向こうにあるかで悩みのレベルは違う。
恋愛も、どちらもスキで悩むのと、こんなにスキなのにと悩むのではまったく違う。





だからかもしれないけど、あたしは自分の悩みレベル以下のことで他人が悩んでると腹が立つ。
たしたことではないのにそれ以上に悩んでるあたしに相談してくんの?
ふっざけんなって思う。
でもそれはあたしも誰かに与えてしまってると思うんだけども。


それにそこを相談に乗るのが友達なんだろうけど。
最近まったく余裕がない。



あたしの今の状況だと、彼氏とケンカしただなんて相談は「彼氏」がいることでもう十分だと思うけど?ってなるし。



でもみんなそうなんだよな。
なんだかんだで自分が一番だから。あたしも、みんなも。


ほら、そう思ったら今悩んでるのが、あの子からしたらあたしの悩みなんて小さいわって思いませんか。



日々、劣等感やら優越感やらにまみれて生きていくんでしょうな。



まぁこの考え方を世の中では「究極のプラス思考」とも言うかも。
例えて言うなら小宇宙
久しぶりに長い記事。






あたしは高校のときの友達が両手で数えて余るぐらいしかいない。
部活の友達を除けると片手でも余るかも知れない。


複雑な年頃だからでしょうかね。
今は友達の多さだなんて気にしないで生活していけるんだけど、高校って一人でいることにものすごく恐怖を感じるわけです。
トイレに行くのにも誰かを誘う。
食堂に何か買いに行くのにも誰かを誘う。
職員室に行くのにも誰かを誘う。

とにかく誰かに一人でいるところを見られたくないんだろうし、一人でいると寂しい人間って思われるのが怖かったんでしょう。
だから、利用して利用される関係がそこに生まれるんです。
大して話したこともない人とどうでもいい会話でなんとか繋がろうとしたり、みんなに合わせて髪を染める化粧をする。

今考えるとほんとーにくだらない。



あたしは高校1年のとき4人で仲のいいグループでした。
でもそのうちの2人はとことん利用するタイプ。
そして気分で人をハぶるタイプ。
今、この瞬間一緒にいて楽しい人としかいない。
んでその子と授業が違ったりするとあたしのところにくるんです。
男と話したいがためにあたしの悩みをネタにされたこともあったなー。

んでね、あたしの近くで散々悪口言ってくるでしょ?
でも、そんな素性さっさとばれる。
んで自分の周りから人がいなくなると人づてに仲直りしようってくる。


その時あたしはほとんど一人で行動してた。
仲いい子とクラスも違ったし、軽く利用していた人といるのも疲れたし。



でも、絶対にその子とは仲直りしなかった。
だってあたしケンカした覚えもないのに仲直りっておかしいし、もう誰かの機嫌にあわせてニコニコしてるのは嫌だったから。




この子達2人のおかげであたしの高校生活はずっと誰かの機嫌を見て行動しなくちゃいけなかった。
めんどくさいこと極まりない。





あたし含め4人のグループっていいました。

残り1人はというと。
同じクラスだったのが高校1年のときだけ。
なのに今だに仲良しです。

上で話した子が原因で一時期離れていたけど、お互い言いたかったことをぶつけ合って(・・・とあたしは思ってる)元に戻れたと思う。



部活の友達もそうだった。
あんなにわがままいってやめた部活。
最初は同級の目線や態度は本当に冷たかったんです。
でも、夏休みに1人の家にみんなで泊まりに行ったとき、初めてのオール。
ジュースとおかしで語り合い。
「あの時のアンタのあの態度が嫌だった」
とか
「あたしも本当はあの時こう思っていた」
とかをまったく隠さずぶつけました。
全力投球。
当たった言葉はかなり痛かったけどずっといえなかったことを言えて本当によかった。
あれがなければあたしはずっとどこかなじめずだったと思う。

でも、受け入れてくれた友達は本当宝。



なにか大きな壁を越えるからこそ、そこにいままでとは違う感情が生まれるんだと思う。
あたしの今の交友関係でケンカしてない人・・・いるっけ??笑



「ありがとう」と「ごめんね」はいつだって大きなきっかけになります。





ただ、毎日のように言っても、それは言葉に重みが出ないんだけどね。



んで、タイトルとの関連ですが、宇宙にあるたくさんの星がぶつかってぶつかってできる宇宙と同じで、ぶつかってぶつかってできる関係だよということです。
19歳という年齢
はね、すごく気持ち的にいろいろある年齢なんだって。
安室奈美恵の歌にあるらしいよ。
(実はよく知らない)


今日、バイト先の人に「友達と同じ心境で同じ境遇で」って話をしたら「そっか!19歳かぁ!!」って言われた。

んで、あたしは「そっか、19歳だからか」って納得しました。
なんかこのもやもやの理由がわからず寂しかったり誰かに構ってもらいたいって思うより、理由がわかってこれは生理現象なんだって思ったほうがこの気持ちとうまく付き合っていける気がしませんか。



だから意味なく寂しいのじゃなく、意味なく悲しいのじゃなく、意味なく相手が欲しいんじゃない。
ふっと時間が空くと携帯のメール画面を開いていたり、忙しい日々の唯一の休みも朝からがんがん予定を入れたり。


どこか逃げたいながらも疑いながらもそれでも毎日と人間を信じてしまうこのお馬鹿な感じは10代最後だからだよ。
愛嬌愛嬌!!


だからって誰でも良い訳じゃないでしょ?
話を聞いてもらいたい。
甘えたい、甘えられたい。
頼りたい、頼られたい。
好きでいたい、好きでいてもらいたい。


そんな人はやっぱり数限りがあって、フィーリングもね、大事。
どんなに仲良くても話せる人と話せない人がいるんだし。



なんかそういう感情が一気にくるのがこの時期なんだと思うよ。
あと3ヶ月でハタチなんだもん。
10代という弱さに甘えてもいいでしょ。
続・大人ってなんぞや
あと少しだけ あと少しだけ
君を抱きしめさせてくれないか
夜が明けるまで君のぬくもりを
嘘でいいから僕にくれないか

愛してる 愛してる もう言えなくて


風味堂・愛してる



この曲いいですよね。
直球ストレート。
メロディーがタイプで毎日聞いてます。




最近バイトの人手不足によりハードな営業が続いております。
あぁ10日ぶりのお・や・す・み☆

昨日は店長に焼肉連れて行ってもらいました。
オールで焼肉ってなかなか厳しいですな。。。
4人で4万ちょいって高くないっすか!?
ごちです店長。



そうそう。
20歳になると・・・って話の続きですが。
今は19っていう武器がなくなるのが怖いかもしれないですが、なってみると多分何にも変わらないんだなって思いました。
東京に来てかなり年上の方とも接するようになったのでありますが、みんな同じレベルで笑えるんだよな〜。
河口湖に泊まりにいったメンバーも上は24歳下は17歳。
昨日焼肉いったメンバーも店長27歳あたし19歳。
でもまったく冷めることなく楽しめる。
特にバイトと学校でそのことを強く感じます。
学校では上が27歳下が17歳。
10個も違うのに同じようにつるめるわけです。
そしてあたしは23歳と21歳の方とまったく同じテンションで笑い合えるわけです。
ため口だしね。
実年齢があたしより上でもそんなのは関係ないのだと。
バイト先でも上は50代下は10代。
んで、27歳のお馬鹿さんもいれば尊敬できる人もいるし、19のあたしもいれば20のYさんもいるわけで。

ようは気持ちなんだと。
精神年齢が低いとかではなく、騒ぐときは騒ぐ、笑うときは笑う、泣くときは泣いて怒るときは怒るんだと。
17歳のあたしと19歳のあたしが変わらなかったように19歳のあたしと20歳のあたしは歳は違えど同じ思想で同じ笑いのつぼで同じ感性でいるのでしょう。


・・・とは言ったものの10代最後のクリスマスには変わりなく、あせってるあたしがいるのも否定できない事実なのであります・・・。
そもそも大人って何ぞや?
大人げないですあたし。
おなかが空き過ぎてるからイライライライラ・・・・。
機嫌悪くて前半最悪の営業。。。ごめんなさい。


あたしはあと5ヶ月でハタチになるのにこんなことでいいのかと休憩中にバイトの方に言ったら、「ハタチなんてなんも変わらないよ」って言われました。
でもさ、武器がなくなるよね。十代っていう武器が。
別の人には代わりに大人っていう武器が手に入るじゃんっていわれましたが、「十代」っていう武器と「大人」っていう武器は使い方が違うし効果も違うわけです。


お客さんによく「何歳?」って聞かれるけど「19です」っていうのと「20です」っていうのはまったく受ける印象が違う気がしませんか。
19だと若いって言われるけど20だとへ〜みたいな。

って、こうは言ってますが決して20歳になりたくないわけではない。

何も変わらないにしろ早くなって壁を越えて、その先にある落ち着いた人間になりたいのです。


でも、この間みなちゃんとお話したときに「10代は人生60年と考えると6分の1なんだよ!!」っていう結論に達したときはあたしの人生もうそんなに来たのかって思っちゃいまして。


もっと甘えなって言われました。
可愛げがないですよね、あたしは。
なんだろ、よく「落ち着いてる」「大人っぽい」などといわれてきました。嫌ではないです。むしろそれを目指してましたから。


でも、どんなに「落ち着いてる」「大人っぽい」って言われる人でも「甘え方」もちゃんと知ってる。
あたしは十代の甘え方が出来てないのかな。
間違えちゃうと「甘える」は「わがまま」になってしまう。
その境界線ってなに?

・・・・う〜ん、それが女らしさなのかな。
演技でもうすぐジュリエットにならなくてはいけません。
ジュリエットは女らしい人なんだとか。
バルコニーに置く手の指先から目線の投げ方まで講師の方は「自分が女らしいと思う人を見て研究しろ」とおっしゃいますが。。。

ロミオを思うだけで幸せ、名前を呼ぶだけで幸せ!
そんなジュリエットに欲張りなあたしはなれるのでしょうか。


大人になりきれないもうすぐ大人のあたしは逃げられない時の流れに身悶えするしかないのかな。
DJというお仕事
さっきテレビをつけたら少年院だけに向けて流してるラジオのDJさんのドキュメンタリーを放送してました。
そこでそのDJさんが言った言葉、すごく心に残りました。

「子供達は認められたい、褒められたい、やさしくされたいんだよ」



認められたい。
うん。まったくその通りだと思う。
非行を起こす子供達は自分がここにいることを教えてる、気が付いて欲しい。
まだまだ思春期なあたしも認められたい、褒められたい、やさしくされたい。そして、必要とされたい。



そしてどんな形であれ、自分の声で誰かを元気つけられる仕事は本当にすばらしいと思った。
ブラウン管やラジオを通してではあるけれど、たくさんのいろんな人に元気を届けられるこの仕事。
歌でも、ナレーションでも、ラジオのDJでも、アニメの役でも。


リスナーが悩みを投稿して、それをラジオで読んで、その悩みを聞いたほかのリスナーが励ましたり。
どこまでも広がる人の輪っていいですよね。

あたしは歌がラジオがやりたい。
そのためには元気でいなくては。
そしてもっと素直にならなくては。

難しいですよね。人に元気を与えるのは。
与える、って言い方なんかやだな。
元気を配る。
街頭のティッシュ配りのように誰にでもティッシュを配るように誰にでも元気を配れるそんなおおらかな気持ちを持てるようになりたいな〜。


非行を繰り返した少年たちがその番組を聴くことによって家族や恋人のことを考えるようになるんだよ。
自分の将来を真剣に考えるようになるんだよ。
それでいて励ましてるつもりがいつのまにか励まされてりするんだよ。
ラジオは本当、テレビとは違いキャッチボールができてますよね。

あたしも中学高校の頃はどっぷりラジオに浸かって励まされてきたから、いつかそのくらいの人たちを励ます側になりたいな。
最近のニュースから
JR脱線事故の108人目の犠牲者として報道されていたニュース、見ましたか?
脱線事故で最愛の人を失い、さらに自ら命を絶った人。
事故現場で手を合わせその最愛の人に「大好き」って叫んでる映像。
この人にはなんの罪もなかったはず。
なのにそんな簡単になんにも帰られない悲しみに打たれる。
人の幸せを産むのも人であれば不幸を生むのもまた人だなんて、愚かな世界だと思ってしまう。

でもさ、最近凶悪事件で子供の命が失われたり、いじめによって自殺する子供たちがいる。
大好きで、可愛くて、その人の笑顔があればそれでいいって思ってた人がなんの前触れもなく突然失われてしまうだなんて、想像しただけで恐ろしい。

連日報道されてる自殺のニュースなんて、最近は教師がいじめを誘発させてるなんて、ふざけてる。
あたしが学生の頃なんて、先生大好きでたまらなかった。
今でもいいつながりをもってるし。

そんな最後の頼りである先生から裏切りを受けた生徒の自殺。
ご両親の気持ちはやり場がないと思う。
生徒間の問題でもそうだけど。。。

でも、あたしたちの頃からいじめはあったわけで、それがあの頃の子供達の不安とかを紛らわす方法だった気がする。
あたしたちは乗り越えてきたんだよな。
靴隠されたり、笛折られたり。仲間はずれなんて、次誰になるんだってどきどきしてた。

でもやってた人はすごく弱かったんだと思う。あの頃は一人はいやだったんだよ。みんな。

それを乗り越えたからこそ、今ではそれを話してもごめんねで済むし、仲良くなれたんじゃないかと。
今の時代の子供達はそれを乗り越えられないくらいになっちゃってるんだよ。
いじめがあることはしょうがないって言ってるんじゃなく、ないのに越したことはない。
あたしは乗り越えられない現状にびっくりしている。
もともとあったのかも知れないよ?
ニュースで言ってることが全てでないにしろ、学校側はそれを隠し続けていたみたいだし。それが今、表立って出てきただけで。


だから今回あたしが言いたいのは運命とか命とかの話。
幸せだったものが音をたてて崩れていく瞬間。
あたしはまだ経験なくてわからないし、そんなあたしがこんなこと書いてるのはほんと無責任だけど、どうして言いたくなった。
大好きな人が明日、1時間後、10分後、次の瞬間、この世からいなくなったら。
幸せだった今までより、その一瞬の不幸の方が重く残る。

逃げないでほしいな。
言うのは簡単なんだけど。





だからちゃんと人を好きになろう。
その人がいなきゃ生きていけないぐらい。
果てしない話
先日バイト先に食べに行ったときに同じバイトの人と熱く語った宇宙の話(笑)



蟻を観察するアリクイがいて、そのアリクイを食べるため観察している肉食動物がいて、その肉食動物を食べる肉食動物がいて、その肉食動物を食べる人間がいる。

あたしたちの考えでは、弱肉強食はここでは終わってないと思う。
だから、さらに人間を観察している何かが存在するんじゃないか。っていう。
それがもしかしたら神なのかも知れないし、神なんて存在しないでずっと観察の連鎖が続いていってるのではないか。


だから、蟻の下もその下もさらにその下にも何かがいて果てしないんじゃないか。

ここで、あたしとその人の考えは2つに割れたのですが、宇宙の話。
その人は宇宙は果てしなく終わりがない。そして今わかっている宇宙はテーブルで言えばほんとこの米粒ほどもないのでは?

あたしの考えは宇宙には果てがある。
今わかってる宇宙は同じようにごくごく一部。
ただ、人間の力ではあたしは果てまでは行けないと思ってる。
人間なんて愚かで小さなものだから。

目に見えないものがあってもいいと思いませんか?
例えば何倍も拡大してみている寄生虫に寄生してる何かとか。
もしくは空気の空間の裏側とかあったほうが面白くないですか?
人間が全てを解明できる日なんて絶対来ないと思ってます。


そして、二分の一の話。
なんのこっちゃと思いますが、つまり今、踏み切りの前に立っていたとする。電車は目の前まで迫ってます。そこで生きていくために人間は踏み切りを越えないっていう選択をしてます。
越えてしまえば確実に死んでしまう。
だから、日常は常に「生きる」と「死ぬ」の二択、つまり二分の一。


自殺しようとわざわざ富士樹海に行くとしましょう。
その場合も車で行くのであれば赤信号で止まって、交差点で一時停止して・・・その死ぬ場所まで生きる選択をしている。
昨日バイトの人が言っていたのはホントに死ぬ人は誰にも何も言わないで死んでいく。突然なんだって。だから毎日死にたい死にたいって言う人はホントはそんな勇気なくて助けてもらいたいだけなのかも。
その人、カップルの修羅場で死ぬって叫ばれたことがあるらしいんだけど、「自分の命すら大切に出来ない人があたしを幸せに出来るわけないでしょ」って言ったらしい。

話が脱線したけど、もう一個あたしの考え。
人の運命は最初かから決まってる気がする。
だから、いまこうしてあたしは声優って夢を追いかけてるけど、その夢を追いかけることになったのも、実は結果もあたしが生まれたときから決まってるんじゃないか。
もしくは、ある程度可能性で決まっていて、声優になれるが20%だとしてのこり80%をいかにうまくかわすかが与えられた試練なのかも。

だから生まれた時点で何歳で死ぬっていうのもパーセントで決まってるんじゃないかな。


これまでの考えをまとめると、人間はこのでっかくて果てしない世界の中の小さな生き物の中のひとつでしかない。
だから、大好きな人に裏切られたことがあたし至上最悪な出来事だったとしても、大きなこの世界で見ると小さな出来事。
人間が蟻の失恋を気にしないように、生きてることに必死な人間の失恋なんて構わず明日はくるんだよな。


生きてく理由がこの世にあるのだとすれば、死んでから気が付くんじゃないかな。

そうそうあたし生まれ変わりってあると思います。
Oさんそれについて今度じっくりどうですか(ブログ見てないから)